階調感は 全てデジタル環境での画像と同じようにはならなくても、 まぁ、 写していたものは わかるでしょう x x x



1本のフィルムの、 コマ番号 26 , 28 , 29、 つまり、 4コマ写した中の 3コマ。
現代のデジタルなら、 何コマ連写しているだろうか・・・
フィルムの時代には、 1コマあたりのコストが 近代のデジタルよりも 遥かに高かった。
だから、 こんな風に、 シーンの中で タイミングを計って 僅かなコマ数だけ写すのは 普通の感覚だった。
その時代を知らない デジタル世代には 通じない感覚かも。
というより・・・
やっていた自分でも、 もう 実感が残っていなくて、 体験していない時代への“ジェネレーションギャップ”な感も x x x
とはいえ、 この制約感は、 ありがちな、 何かが見えてからの後追いで その場のまま 無思考に連写して、 写ってさえいれば
「○○の撮影に『成功』した」
でいられるのとは 根本的に違う、 写り方を考えて行動する時間があったことにもなっていた。
この “まだ起きていないシーンに合わせて対応する意識”が 根底の大前提にあるのは、 デジタルでも活きているとも思う。
気安く連写できるようになったことで、 タイミングを慎重に狙ってレリーズする必要性は 薄くなった。
トリミングが日常になったことで、 写す段階で 構図を なるべく完全に整える必要性も 薄くなった。
でも、 写る角度や 背景の組み合わせは、 写した後からは 変えられない。
だから、 写し方で必要な 考える意識の基本は 変わらないだろう。