近くに降りて来るところの トリミング無し。
ここの背景は 画的に印象が悪くなるのが殆どの中で、 目障りなコントラストは無いところに重なるタイミングがあった。
いつ、どこで、を予測できない一瞬は、 手先でのカメラ操作技能だけのご自慢を駆っても、 そこに居合わせただけでは写せない。
結果的には 殆どが「遠大な無駄」で消えていく、 「遠大な時間」の広域な哨戒を続ける「遠大な労力」の裏付けがあってのもの。
・・・そんな当たり前すぎることは いちいち書く必要も無い...はずなのだが・・・
当たり前を実際にやっている対象となると、 お目にかかることは まぁ無い、どころか...
自身は できようもなくても、 おぼろげに知っているだけなら知ってはいるだろう、だけの対象すら、 未だに 見た記憶は一切無い。
もちろん、 『自身が実際にやっている設定でのお話』を語っているのなら 無数に見せられている、が・・・
『それ』が 「これ」で言うのとは何十桁スケールで違いすぎて“無関係”レベルでも微細にはあれば、 まだ 超々々マシ、な世界。
フィールドは見ずに、 他の誰かが見つけるのを監視して見つけたのを
『私が先に見つけた』
と叫ぶのが 優れた才覚としてご自慢で お幸せでいられる残念さん、そして...
そこに群れ集って、 教えてもらうのを待ち続けるだけしかできないのが 優れた才覚としてご自慢で お幸せでいられる残念さん...
が 殆ど全数で x x x
鳥写真では、 盛大なご自慢のお話ほど、 内輪でなら皆で証明し合っていられても、 実態の無い『妄想披露』なのが 恒常の現実。
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