すぐ近くにある世界

野鳥 , 昆虫 , 航空機 などの写真

都市部の近隣でも身近で見られる野鳥や昆虫など、
捏造(餌付け、ヤラセ、画像加工 etc...)の無い
「本当の世界」の写真を載せています。

NP

ランキングに参加しています
投票をお願いします!
人気ブログランキング  にほんブログ村

ヘラサギ 飛翔|それぞれの世界次第で...

ここでの狙いでは、 なるべく澄んだ空の直射光が欲しいものが 実質全て。
ヘラサギが居るとか来る可能性があるからといって、 普通種の狙いに期待が無ければ そもそも出掛けない、が...
出掛けても、 陽が陰る時間もあれば、 天気の予想が外れて 撤収の見切りをつけるまで待ってみる時間もある。

普通種の観察や 全域の哨戒は 常時していても、 どうせ写さない状況では 気付くのが遅れても 実害は無く...
別の機会に活かせるかもしれない参考情報になれば良し。
核心的な意向のところは「手持ち無沙汰」...
となると、 種名の要素で『枯れ木も山の賑わい』用には写しておくケースもある方を想定した態勢で待機。

そんな、 総じて雲が厚く 暗め中心... から、 その雲が薄くなって...
明るめな代わりに 光が定まらなくて 露光設定の判断が難しいタイミングに移動して来た ヘラサギ
だったが...





可能性として期待していたより、 ずっと遠いところに降りる流れになった x x x

遠くからしか写せないことの難は、 「小さくしか写らない」のは 門外漢にも解り易いところ。
とはいえ、 そこは、 近代の機材では極端なトリミングも利くので、 被写体の解像感だけなら 結構な範囲で ごまかせたりする。

でも、 それだけではなく、 被写体と背景の 合焦位置の差が小さくなる。
この関係性では、 いくら大砲レンズの口径があっても、 背景を大きくボケさせて整理した画にはできない。
仮に 風景全体の中では よほど良い場所に重なってくれたとしても 雑然とした画になってしまうので...
そういう状況に向かった時点で まともな使い道は期待できないのが判っていて、 既に「はい、残念 x x x」。

「賑やかし用には...」と割り切って写しておくにしても、 無機質な ロボット的作業。
鮮明には写せたところで 喜ぶことでも無く、 感傷が入るとすれば 自嘲の時。
感情面では、 何事も無しか マイナスか、だけ... で、 写すほど“損”しかしない x x x

そこは、 日常的に見られる種類では、 もっと顕著。

とはいえ、 動きがあるシーンを多々見ている印象の対象でも、 画的に好条件の機会には そう都合良くは逢えないものでもあり。
そもそも、 目視でなら難は感じないシーンでも、 多くは、 現実で可能な範囲では どうしたって 写真での好条件にはならない。
当たり前すぎるが...、 写せる可能性が有るのは 現に在るものだけ、 実在しないものは 写しようが無い。
動的な写真には 知ったかぶりでご丁寧に解説されがちな、 手先でのカメラ操作の技能云々だけで写せるのではない。
或る一地点からは好条件でも、 その瞬間に、 時には数十cm以内しかない“そこ”以外に居たら 良い機会ではなかったりする。
あるいは、 自身が“そこ”に居ることが影響して 欲しい状況にならなくするのでも 写せない。
 まだ現には無くて、後に起きる事象が好条件の状況に居られて...
 いつあるかも判らない 限られた機会の一瞬を逃さずに...
それには、 “運”次第の要素大きくても・・・
知識、観察、技能、...他にも、 “心・技・体”的な系統感も多様な色々を揃えられるまでの経緯が無いと、 なおさら 縁遠い。

対照的な、 最良でも まともな使い道は期待できない状況の方なら、 現場を見れば、 写した結果を確かめなくても判断し易い。
自身以外の事情も、 見るのが 撮影位置から遠くなるほど 「具体的な細部」まで推定する精度は下がっても...
状況と機材の総合で、 可能性としてなら有り得ても 現実には殆ど望めない、
 動きの中の 最も良いタイミングが
 背景の 最も良いところに重なった
等の諸条件が 全て最もご都合良く揃ったとしての“希望的理論ベスト”の上限なら、 遥か遥かの遠目でも推測できる。

だから、 自身基準では優れた写真としている理解が残念だと、 周囲には、 初見の遥か遠目だけでも 即で 丸バレ。
奇跡に逢えてでも まともには使えないゴミ写真、実際の殆どは粗悪すぎるのが満足でいるのなら、 それが自身の世界観ということ。

そこには、 単純に、 向上する過程の現状は 喜べる基準がまだ低いことでのものも混在するだろうが...
そもそもの指向が、 写っている要素の断片を文言に置き換えた短文
 ○○が△△している撮影に『成功』した
を叫べさえすれば 画的な評価は無関係に満願でいられる『言葉遊び』なのが 恒久的に変わらないのが 典型パターン。
その過剰に要約しすぎた短文を充てられるのが『間違いではない』からといって...
同じ短文を充てられるのが『間違いではない』他の写真と同じ評価ができる証明... には ならない。
あるいは、 画的な評価が無関係というところでは、 大きく写りさえすれば優れているつもりでいられるのも 典型。

それが過剰に解り易すぎるのは、 各地でご盛況な集いで恒例の、 何かを写せば、 逐一 華々しい形容まで付けた『言葉遊び』の
 撮影に『成功』した
を叫んで はしゃいでいられる面々。
そこまで 逐一『言葉遊び』を叫んで はしゃぎまではしなくても...
残念な状況を写そうとするのが 色めきたっているお姿で 既に開示している。
...というか、
そこに至る経過の移動で ただ歩いているだけでも、 どんな期待に向かって行動しているのかは 見て取れるもの。

もちろん、 自身のことで 何を喜ぶのも、 それぞれ相応なりでの ご自由、
とはいえ...
『鳥を写す』を充てられる共通だけの『言葉遊び』で、 視覚表現的な意向での写真の評価として持ち出して来てしまうのが 典型。
そんな、 いつでも 何にでも 明るく元気良く はしゃいでいられるのが 好ましいこととして扱われがち、でも・・・
その残念ぶりが解るのは、 レベル的には超々初歩でも“多要素の関連”が解る視点からなら 当然すぎることでしかない、
のだが...
“それ”が解らない自身は、 残念に気付きようが無いまま 優れている証明のつもりでいられ続けるのが 必然の事情。

新たな何かをできるようになるのは、 ものを問わず 成果の可否も問わずの“何か”に「真っ当に」取り組んだ経験があれば、
多様なことへの 地味な努力の複合で進捗していくのも...
一朝一夕にはいかない 地道な積み上げが必要なのも...
当然のことでしかないのを 体感で知っているだろう、が・・・

何でも全てで 外ヅラに断片的な要素をいくつか見せ掛けるだけで済ませてきた面々には、 知れる機会も無かったこと。
それを、 上手く騙せてきたつもり... には留まらず、 努力とか実践を 見せ掛けに『言葉遊び』を叫ぶこと、と学んでしまうので...
別分野に手を出すと、 自身は『成功体験』のつもりでいる浅知恵を踏襲する。
それで、
写真では、 殆ど全てほどが 初心の大前提から『ヤラセ』に直行して...
全体の繋がりが馬鹿げた様相もお構い無しに 断片的な要素1つ2つを織り込むだけの 軽薄な『偽造』『捏造』に終始する、
とか、
『どうすればできるのか』を訊いて、 聞こえた1つ2つの単語を口走っただけで、 もう 全てを知って 実践した設定で 得意満面、
とか...
何をするにも、 僅かな断片単語を織り込んだだけの『言葉遊び』での見せ掛けだけにしかならない。

そういう残念な世界観でのご自慢を叫んでいられれば、 数であり割合であり的には とても多くと親交で繋がれるだろう。
そうして 数的に多くと親交を持ちさえすれば 好ましいこととして扱われがち、
だが・・・
当然すぎる物事の道理として、 多数に賛同されることと、 「正しい」「優れている」の証明とは、 結び付かない。
多数決とか世論的な 民主主義風味の評価は、 自身に都合が良いとか、 自身と共通することを根拠として支持される数の話。
例えば、 実際とは違いすぎる迷信でも、 広く浸透していれば、 当然すぎる事実より多数の賛同で支持されるものでしかない。
どんな分野でも、 優れている知見があるのは少数で、 圧倒的大多数は・・・

だから、
より残念すぎるご自慢を叫んでこそ、 より多数が 共通する自身も優れていると祀り上げられる好都合を喜んで群がって...
残念すぎる同士『だけ』で 超々初歩の理解も無くてこそのご自慢を称え合う集いが形成されて...
また、 共通する自身を祀り上げられるのが好都合な同類さん『だけ』が吸着して、 その残念すぎるご自慢を称え合い...
また、 ...
それが、 卵が先? ニワトリが先?風味の定型循環で、 数も 幻想の内容も 肥大していくのは、 どこででも ありふれた話。

その集いでの、 時には物を投げたりで追い立ててまで、 残念の象徴的な 飛び去っていく後ろ姿ばかりを熱狂で連写して
 ○○が飛んでいる撮影に『成功』した
を叫んで称え合われる醜い狂乱も、 その皆が 鳥や写真には限らない経歴全般で『成功体験』にしてきた実態との共通性でこそ。

『そういう面々』とでも、 数的に多くと親交を持ちさえすれば 好ましいこと、なのか・・・
というより、
『そういう面々』だけとしか親交を持てないのが 好ましいことなのか、だろう。

残念さんには『鳥を写す』の共通だけの『言葉遊び』で混同されていても、 交わる要素が無い そもそも全く別々の世界があるもの。

リアル世界(現実世界)に ちゃんと実在している本来の情景のままを写した、 “人の勝手な嗜好に合うように状況を作為的に改変して創作された虚構”のない 絶対非演出スナップです。

野鳥写真:大空を自在に翔ける飛翔写真 = 鳥の行動で「最も鳥らしい特徴が表れた魅力」とも言える 飛ぶ姿を中心に、 カワセミ(翡翠),オオタカなど猛禽類(鷹)といった“人気の種類”には限らず、 バードウォッチングで“ものさし鳥”にも使われる普通種まで 幅広く。
多くは ネイチャーフォト系や動物写真系のフォトコンテストでの入選・入賞が出ている場所でのものでもあります。 (撮影地は記載しません)
他に、 昆虫写真や ネコ写真(野良ねこ写真)、 航空機 など...