光は、 写真では初歩的すぎる要素でも、 速い動きで 常に変化する状況に より高い精度で対応するのは 難度が上がる。


ツバメの飛翔写真は、 難しいのか、 それほどでもないのか・・・
これは、 鳥の飛翔写真の中でも 特に色々な要素がありすぎて、 表すのは難しい。
そして、 そもそも、 求める写真のレベル自体が 千差万別。
だから、 写真の評価も、 自身のレベルの評価も、 難易の表現も、 基準が それぞれによって 全く違うもの。
ツバメは、 なにしろ 形が特徴的すぎるので、 極小のシルエットで写っているだけでも 判別はできる。
スキルというほどのものもなく、 求める写真のレベルも相応に低いと、 砂粒写真で狂喜乱舞して
「私ほどにもなれば、 これほどまでもの撮影にすらも 簡単に『成功』できる」
などと 豪語して、 超絶に優秀なつもりでのご指導の押し売りに 纏わりついてきてしまうのが ありがち。
一方で、 大多数にとっては 実際には一生ないだろう奇跡に夢見る絵空事も遥かに超越した画を 「写せて当然」の人もいる。
でも、 そういう人が、 「ツバメは 簡単には写せない」とか 「ツバメを写すのは 難しい」と表すかもしれない。
それは、 「自身が望む、 より高いレベルの写真は」の意。
そして、 “特に”という一部以外の 殆どを、 平凡で使い道もない“量産型飛翔写真”は 保存しても邪魔、と、 平然と消去。
写せない側からすれば、 一生無縁だろう 想像を絶する“神業写真”が 無数に軽々と棄てられる格差の現実は、 直視しがたい。
その この世界から消し去られる中の1コマでも 自分が手にできたなら... と考えても、 “神”よりも “悪魔”的かも。
飛翔写真では、 たいしたスキルは必要ない機会しかなければ、 写した結果には 撮影者のスキルの差は 殆ど表れない。
そういう状況でなら、 他と比べて上回る差をつけたければ、 その手段は 機材の豪華さを競い続けることだろうが・・・
ツバメの類は、 スキルが際限なく高ければ高いなりに活かした世界に踏み込める機会が期待できる。
豪華機材の恩恵は大きくても、 それだけで 誰でも同じように写せるほど 無味乾燥で退屈な浅い世界ではない。
これは、 自身の現状なりでの 写せた画自体の成果を期待する“実戦”に、 スキルアップに繋がる要素が多くあるともいえる。
そこには、 他の撮影機会への波及効果も期待できて、 向上心があるなら お得な撮影テーマだろう。